吉田城跡に行きました。宮城野における攻防で、宮方は武家方に圧され、吉田城まで撤退す
ることになります。一名坂城、小曾沼城が堕ちたすぐあと、正平八(1353)年1月、吉田城も 堕ちます。吉田城に籠もっていた中院大納言、神山相馬は脱出しましたが、現仙台市周辺に おける宮方の勢力はこれで失われた形となりました。
吉田城というのは、『仙台領内古城・館』には載っておらず、『伊達諸城の研究』に、麓館という
のが吉田城ではないかという感じで書かれています。なのでそれを信じて吉田城ということでレ ポートすることにしました。
吉田城(麓館跡)は宮城県黒川郡大和町あたりの七つ森という、キャンプ地近くにあります。石
神山緒神社裏手の山がそうであると言われ、一応城跡公園になってますが、誰も入れそうに ありません・・・神社も延喜式内社なんですが、だ〜れもいないんで怖くて入っていけませんでし た・・・(小心もんですんで)。近くに吉田小学校・中学校があるので、地名は一応吉田ということ になるようです。
地図ではこちらになります。
城跡ではなく館跡となっています 神社入り口です。奥まってるようで・・・(怖い)
吉田城跡と思われる山です 左側に見えるのが鳥居です
公園はまほろば百選なんだそうですが・・・確かに誰も入れないからまほろばかも・・・。
この神社には坂上田村麻呂手植えの御神杉があるそうです。
でもずっと思ってるんですが、東北の方にとっては田村麻呂さんは中央からの制圧者であるの
に、なんで今もずっとここに寄った、あそこに寄ったと恭しくされてるんでしょう?同じく源義家な どが北上した後(八幡神社を通り道に建ててますからすぐわかるっていうか)に建てられる八幡 さんも、義家さんが通った云々などと書かれてますが・・・。
もうちょっとよく見えないか、と裏手に車を回してもらいました。そしたら・・・ロープ張られてて入
れませんし、人ん土地だし・・・。矢印はありますが、絶対登れなさそう(道ありません)でした。
このあたりは河南地域というのだそうです 神社近辺部分をアップにして撮りました
やや離れたところからの写真です。橋の上から撮りました。吉田川が流れています。
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