近江大津京〜その2〜

大津京関しては、ほとんど調査が進んでいないというのが実情ですが、ここ二〇年間における
可能な限りの調査結果を集成し、展示されたのが、平成五年の大津市政95周年特別展示
「よみがえる大津京」でした。

大津京も推測で、ですが、碁盤の目(つまり方格地割)がされているようです。
内裏は前期難波宮に似た配置になっており、あくまで全部推定ですが、内裏南門、内裏正殿、
回廊、堀などを検出しています。大極殿の区画が確立する以前の内裏と朝堂院とが一体化し
たタイプのようです。朝堂院は西第一堂に相当する建物が検出されておりますが、前期難波宮
のように14舎以上の建物の配置かどうかは不明です。かなり小規模な朝堂院ではなかったか
と推測されています。

主要な建物の規模は、内裏正殿が東西7間(21,3m)×南北4間(10,4m)、内裏南門が東
西7間(21,3m)×南北2間(6.4m)で、南門東西に方形区画(約37m四方)があります。

大津宮中枢部建物配置図です(『よみがえる大津京』大津市歴史博物館 77頁)




今回訪れた所は内裏南門を含む第1地点と朝堂院部分である第2地点でした。

第1地点の錦織遺跡です
        

第1地点にある志賀宮址碑です   第2地点の遺跡です

   


「志賀宮址碑」の内容はよく見えなかったので断念しました。これは篆額が山階宮晃親王、撰
文が滋賀県知事大越亮、書は日吉大社宮司伊藤紀の手によるものだそうです。




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近江大津京〜その3〜
近江大津京〜その3〜