母成峠の戦いで亡くなった東軍兵の墓です。戦い後しばらくは、薩長土軍の厳しい管理のも
と、埋葬すら許されず(会津市内もそうですけれど)、放ったらかされてしまってたんですが、地 元の人が気の毒がって、こっそり埋めました(白虎隊のは掘り返させられたよね・・・)。明治以 後は雑草というか所在不明になってしまってたようですが、昭和53年に地元の郷土史家さん のおかげで見つかったそうです。しっかし・・・雪積もってる・・・土まんじゅう・・・怖い・・・。
そして、薩長土軍は戸ノ口原や一六橋を守っていた東軍(白虎隊を含む)を破り、会津市内へ
と軍を進めていきました。
大鳥氏は猪苗代城を拠点に戦うつもりであったようですが、すでに会津の田中源之進が薩長
土軍が拠点にしないよう、と母成峠で敗れて撤退してすぐ、城に火を放ってしまったそうです。 そうすると、どっちも拠点に出来ない、と。
母成峠から郡山方面に向かうところに、石筵という土地があるんですが、そこに台場を3カ所
置いて、秋月氏や田中源之進など400名ほどが守っていたそうです。ですが、石筵の住民の 家を焼いたりしたので、恨みに思った民衆は、会津ではなく薩長土につきました・・・あ〜あ。
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