富山県高岡市二塚というところには、元弘の乱によって越中に流され、殺された恒性皇子(越
中宮、大覚寺宮、嵯峨宮)の墓所のあるところです。なんでも県内唯一の皇墓だそうです。皇 子母は亀山院皇女だそうです。殺された時、皇子は十五才であったそうで、二塚に一年二ヶ月 幽閉されていたそうですが、預けられていた二塚城主・越中守護名越遠江守時有と、その甥で ある兵庫助貞時によって殺害されました。
越中に流された最初に住んだ場所は「悪皇子宮」というそうで、今は白山気比神社境内がそう
であるといわれています。どうもそこが名越別館の傍らに新築したという御座所のようです。
幽閉された当初、近くの寺(浄誓寺ー初めは称明寺)の源開律師をたずね、静かな日々を過ご
していたそうです。そのお寺のご住職に、皇子ゆかりの品々を拝見したいとお願いしましたが、 かなり奥に直してあるということで、断念しました。が、お話は沢山うかがうことができました。
浄誓寺本堂です 恒性皇子扈従三朝臣慰霊碑です
この慰霊碑は門前にありました。
これら三家臣も皇子殺害と同時に殺害されました。
日野挿部頭四郎右衛門尉直道朝臣
勧修寺中納言嫡男 宗重朝臣
近江蔵人宗康朝臣
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