次は西館です。ここはまだ未調査だそうで、なにがあったのかは不明だということです。
内館と西館の間には、通路というべき道があり、そこを歩くのが散策順路となります。
浪岡城跡の中でも一番整備されている部分が、北館です。ここは家臣達が住んでいた場所だ
ったそうで、武家屋敷町を形成していたのだということです。その区割りなどを板塀で表示して います。
北館にも、その推移を示す説明板がありました。
左側の内容を記します。
■北館の概要
ここは「北館」という名前の曲輪(くるわ)です。1500〜50年頃は屋敷町のように規則的に
区画されていたようです。この一区画の中は、大きな建物(茶色の舗装部分)が一軒と、小さな 建物(黒い舗装部分)が数軒、井戸が一つ入っていることが発掘調査でわかりました。
■建物について
大きな建物は、地面に掘った穴に柱を直接埋めて建てる「掘立柱建物(ほったてばしらたて
もの)」です。小さな建物は、地面を掘り下げて地下に床を作る「竪穴建物(たてあなたても の)」でした。井戸は4〜5mの深さがありました。なかには崩れないよう木で補強したものもあ ります。
■迷路状になっている北館
現在、板塀で区画していますが、当時は何を使って区画していたのかよくわかっていません。
いずれにせよ迷路状の道を作ることで本丸である内館までの通路をわかりにくくしたことと、こ こに家来たちが住んでいて城に入って来た人々を監視したのかもしれません。石垣や天守閣 ができる以前から城の中心(城主)を守る工夫がされていたのです。
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