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慶応元(1865)年5月9日、土方、斉藤、伊東、藤堂氏ら草津本陣に宿泊したというのは有名
な話でして、その時の大福帳にも残っています。
土方・斉藤・伊東氏は江戸に隊士募集に出かけ、江戸で藤堂氏と合流、その帰路に本陣を使
用したとのことです。募集して一緒につれてきた新入隊士は、他の宿に泊まったのでしょう。名 前がありませんし・・・幹部クラスのみ本陣に泊まったということでしょうか。 ![]() ![]()
大福帳の新選組関連の名前が載っている箇所です。草津宿本陣には元禄五(1692)年から
明治七(1874)年に至る百八十二年間にわたって、各年一冊の大福帳が残されているそうで して、有名なところでは、皇女和宮、浅野内匠頭、そして新選組の名前が記されているのだそ うです。 ![]() ![]()
泊まったとしたら・・・上段ではなく、中段の間くらいでしょうか。写真撮るの忘れました。
左写真のは、その日に本陣を使用する団体の名前を書いた札で、表門に貼るようです。
関札というのだそうで、本陣に宿泊する際に持参した札だそうです。本陣側が用意したのでは
ないのですね・・・。
「休」「泊」「宿」とそれぞれ意味が異なってるそうで、「休」が昼食休み、「泊」が本陣賄い、「宿」
が自身賄いだそうです。 ![]()
姥が餅は、現在でも草津の名物として有名です。諸説あるのですが、私が聞いたことがあるの
は、織田信長サンに滅ぼされた佐々木義賢の曾孫を連れて逃げた乳母が、生まれ故郷であ んころ餅を売って養育料にしたのが始まりだそうです。
姥が餅は、本陣に泊まる方にお茶うけとして、献上されてたそうです。なので、彼らも食したか
も・・・甘いもの好きは誰だっけ(笑)。
草津は交通の要所ですので、このような俗謡などもあります。
「瀬田へ廻ろか 矢橋へ下ろか ここが思案の乳母が餅」
ちなみに「急がば廻れ」は,、室町時代(後期だったと思うんですが)の連歌師の歌の
「もののふの やばせの舟は 速くとも 急がばまわれ 瀬田の唐橋」
というのが本当です(こんなん県民の常識?)
矢橋(やばせ)は近江八景のひとつ、「矢橋の帰帆」が有名で、矢橋からはたくさんの舟が出て
いたそうです。それで、沢山出ている矢橋の舟は速いけれども、確実性を求めるならば、歩い て唐橋を渡るのがよい(向こう岸に着くのなら)ということから、「急がばまわれ」が取り出された わけです。俗謡はこの歌のことを踏まえて「瀬田、矢橋」とあるのです。 ![]()
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