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乙巳の変の関連地をまとめてみました。乙巳の変とは、いわゆる大化の改新(ああ、書くのも
おぞましい)のことなんですが・・・。
誰でも知ってる645(皇極天皇4年)年6月12日(日にちまでは知らねぇよ)、舞台は伝板蓋宮
跡とされる場所の大極殿(当時は大極殿という建物は無いのですが、相当する建物)で起こり ました。 ![]()
伝板蓋宮跡地です。ここは多くの宮が建てられたようで、大きくは上層と下層とに分かれていま
す。写真で見えている分は上層の井戸跡だそうです。上層は天武天皇の飛鳥浄御原宮跡とさ れ、下層に板蓋宮が、といわれています。
乙巳の変のだいたいの解説をしておきます
三韓の調を貢るとされた日が12日で、皇極天皇が臨し、そばに古人大兄が侍さはったそうで
す。遅れてやって来た入鹿様は、鎌子の企みによって俳優(わざひと)の滑稽な仕草に、普段 ならば絶対離さない剣を手放し(嗚呼!)てしまったそうです。
殿内では蘇我倉山田石川麻呂(てめぇ、蘇我一門のクセに!)が前に進み、三韓の上表文を
読み上げ始めると、葛城皇子(だってまだこの時は大兄じゃないもーん)は一斉に十二の通門 (藤原宮にはあったとされるんですが、この時代にもあったんですねぇ)を閉じ、自ら長槍を取っ て大極殿の脇に隠れ、鎌子が弓矢を持って護衛したそうです(ブッソウな)。
鎌子は海犬養連勝麻呂に命じ、佐伯連子麻呂と葛城稚犬養連網田に剣を与え、素早く暗殺す
るよう命じたのですが、子麻呂たちは恐怖のあまり身動きが出来なかったそうです(そやろ〜 そやしやめろ言うたねん)。
石川麻呂は上表文を読み終わろうとしても子麻呂たちが出て来ないので焦ってきたのか、汗
が噴き出し、声も乱れ手も震えたそうです。怪しんだ入鹿様が「何故震えるのか」と問うと、「天 皇のおそば近くで恐れ多くて汗が流れて」とごまかしました。で、みかねた葛城皇子が入鹿様 の頭から肩にかけて斬りつけ、さらに子麻呂が入鹿様の片方の足を斬りつけました。
天皇の側下に転落した入鹿様は「臣に何の罪があるというのか、明らかにしてください」と仰い
ました(あなたに罪なんておへん!)。天皇は驚きつつ「これはいったい何事か」と言うと、葛城 皇子は「「鞍作、天宗を尽くし滅ぼして、日位を傾けむとす。豈天孫を以て鞍作に代へむや。」
と答えたとか。
天皇は席を立ち奥に入ってしまわれ(こら!逃げんな!)、子麻呂と網田が入鹿様にトドメをさ
したそうです。この日雨が降っていたそうで(涙雨に決まってる!)。入鹿様の屍を莚で覆い、 蘇我本宗家に戻したそうです。
入鹿様お亡くなり後の乙巳の変は次頁に。
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