山形県天童市にある北畠神社です。北畠神社は全国で、三重県美杉村、青森県浪岡とここ天
童市の3カ所ほどにあるそうです。この神社がネットで画像付きで出てくるのは、結構珍しいよ うです(検索したら画像付きのはなかったんで)。
由緒書きの内容です。
祭神 北畠親房命 北畠顕信命 猿田彦命 阿須波命等数柱 由緒 当荒谷(阿谷)は、正平六年十一月南朝の忠臣北畠顕信卿が北朝の賊将陸奥探題吉 良貞家・貞経父子と会戦し、敗走せしめた処(昭和二年五月十六日山形県告示を以って山形 県史跡に指定)という史家伊佐早謙の考証と元財団法人山形県教育会が、組織した、顕信卿 忠誠顕彰会の後援により、邑人村形村長兵衛と荒谷地区民の協力により建立された神社で ある。 戦場碑は北畠義郎氏の書によるものだそうです。この方、御子孫でらっしゃるのでしょうね。 正平6年11月といえば、顕信卿が府中城奪回をしたころであり、通説では顕信卿は南出羽か ら府中に参戦していたと言われています。この神社近くには、南朝派であった大江氏の城であ る、溝延城があり、そこも南出羽の拠点のひとつにしていた可能性があるようです。
このあたりは阿谷(現在は荒谷アラヤ)という地名であったようで、合戦記念碑がありました。
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