後日、北畠神社に行く機会がありました。ちょうど休日でしたので、神主さんも運良くいらっしゃ
いましたので、お話をいろいろ伺うことができました。
北畠氏を祀る神社は全国にそこそこあれども、顕信卿をお祀りしているのはうちだけなんです
よ、と仰ってました。
この神社は明治になって造られたものだそうですが、元々この地あたりに祀られていたそうで
す(今神社がある地とは少し離れていたそうですが)。で、現在地は「結城文書」によると古戦 場であったそうなので、そこで、この地に神社を、ということになったということです。
このあたりは、山寺(立石寺)につづく道であり、山寺も南朝側だったそうです。山寺から宮城
県に向かう道は、二口峠道と言われ(現在では車両は通行止めです)、そこから宮城に赴き、 または山形に赴いていたのではないか、と言われているそうです。
宮城県に出ると、温泉で有名な秋保に出ます。そこからだと岩切や多賀は行きやすいと思わ
れます。
山寺(立石寺)は、比叡山別院、円仁さんの創建ですし、比叡山という関係からも大塔宮を連
想してしまいます。それもあって南朝側なのではないでしょうか。
この山寺に続く道沿いで、神社とも近いところにある、とあるお寺さんの住職さんは、お名前を
「日野」さんと仰るそうでして、北畠に関係する一族だということだそうです。
北畠天童丸が築城したといわれる、天童古城は、ここより北に位置し、天童の北西には、南朝
を支えた大江氏の本拠地、寒河江があります。
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