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多賀城に関する発掘は、昭和四四年から継続して行われ、今回が74次調査となります。
今回は政庁の南に位置する南門間道路跡といわれるところの調査説明会でした。
多賀城は、神亀元(724)年に創建され、天平寶字6(762)までに修造されたことが、多賀城
碑から知られています。また、古代の文献からは、宝亀11(780)年に伊治(これはり)公呰麻 呂により焼き討ちされたそうです。多賀城の変遷はだいたい4つに大別できます。
第T期 創建〜修造まで 第U期 修造〜焼討
第V期 焼討〜陸奥国大地震(貞観11[869]年) 第W期 大地震〜10世紀中葉
多賀城は規模は約900メートル四方、周囲は塀が巡らされ、東・西・南に門があったようです。
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今回は、南門に通じる道路(政庁南門から約190メートルのところ)に、おそらく第V期の東側
溝が発見されたということです。この道路跡は、T〜U期は11〜13メートルだったのですが、 V〜W期には23メートルに拡張されていたことが、今までの発掘結果からいわれています。こ こは、北東から南西に下る傾斜地となっています。 ![]() ![]()
上左写真の赤い柱のようなものが、柱跡ではないかと推定されるものです。柱穴は5つ発見さ
れ、いずれも平面形が一辺1.2〜1.5メートルの方形で、柱を抜き取ったと思われる、不整 形な穴があり、柱間はほぼ3.3メートル(11尺)だったそうです。まだ柱跡と確定したわけでは ないのですが、これが柱跡とし、門跡とすると、東西3間・南北2間の門になると推定されるそう です。建物の時期については、第T・U期ではないか、と考えられているそうです。 ![]() ![]() ![]()
上の写真は、門跡と思われる上記の柱穴が通る、第T〜U期の南門の道路の東辺に面した
建物跡と考えられるのだそうです。 ![]()
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