宮城県白石市にある白石城に行きました。ここは伊達政宗の知恵袋といわれた、片倉小十郎
景綱氏の居城でもありますが、幕末には、この地で奥羽越列藩同盟が結ばれ、有名な「倒薩 の檄」がよまれたところでもあるそうです。
家老職で1万石を有したのは、片倉家だけであったそうで、それだけ家康は片倉家を評価して
いたということでしょうか。ほかに似たような例は米沢30万石を与えられた直江公もおります が。
奥羽越列藩同盟は、会津追討をかかげる倒幕軍に対し、他の東北の藩が会津救済の嘆願書
を出すのですが、それを拒否され(長州藩世良修蔵)たことに端を発するようです。1868年閏 4月23日、白石城に奥羽25藩の重臣を集め、薩長に対峙することを誓い合いました。その 時、米沢藩士雲井達雄が書いたとされる「倒薩の檄」が読まれたということだそうです。詳細は 藤沢周平氏『雲奔る』(文芸春秋社 文春文庫)をご覧下さい。雲井達雄の一生が描かれてい ます。同時に、新選組の永倉新八氏もちょこっと出てきはります。
城は城郭として機能した、文政6年再建後の最晩年の構造による、三階櫓(天守閣)、大手門
として本前宇の一部を復元したそうです。建物は、日本古来の建築様式により、木造による復 元です(なので大阪城のようなエレベーターはありません)。本丸跡は芝生の広場になっており ました。
大手門です(詳細は大手二門。漆喰で塗られており、堅牢な造りでした。山形城の大手門の方
が規模は大きいですが、どちらもしっかりとした造りになっています。
城内部です。木材はすべて国産のものを使用しており、吉野の檜、青森のヒバなど、一級のも
のを使用しています。
お城近くには、歴史探訪ミュージアムがあり、そこで片倉家のドラマが放映されてました(三種
類あるそうで、一つは片倉家のこと、一つは明治維新のこと、もうひとつは・・・忘れました)。そ の案内を観ると・・・「渡辺謙」とあるではあ〜りませんか!!観ました(もちろんだ)。
渡辺氏はドラマの進行役でした。話の内容は、夏の陣で息子小十郎重綱が、真田幸村に頼ま
れて、幸村娘を連れ帰る話がメインでした。幸村娘は重綱氏の後添いになり、他の幸村の子 供達も、次々と白石城を頼ってやってきたそうです。
シアターは3D仕掛けで面白かったです。待合いロビーでは、大河ドラマ「独眼竜政宗」から小
十郎景綱氏が主に活躍した部分だけを、総合テレビに特別に編集して貰ったという三編が流 されていました(ラッキー!)。
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